——前作『あいのわ』から2年3ヶ月ぶりのニューアルバムとなります。まず、昨年10月に開催した全国Zeppツアー「うたう」から振り返って頂きたいと思います。当時、「根本に戻って、思い切り素直に歌いたい。次のアルバムに向けての力試しみたいなところもある」と言ってました。
永積 あの時はね、
——ツアー前には、「バンドっぽい音になりたい」とも言ってましたよ。
永積 SUPPER BUTTER DOGをやってたような人間だから(笑)
——その答えが、自分でスタジオを作るっていうことだったんですか?
永積 そうだね。僕のなかでは、自分の場所を持つっていうことが、バンドメンバーを決めるようなことだと思ってて。次になにかをやり出すためにも、いままでと違うやり方をしたいなって思った上で考えついたのが、場所を持つっていうことだったのかな。
——3枚目のアルバム『帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ』(05年1月発売)のときの自宅レコーディングとは意味合いが違う?
永積 ぜんぜん違いますね。もっと本格的なものがいいなぁと思った。ちゃんとドラムもとりたいし、いつでもガッと音が出せる、ちょっと面白い場所にしたかったし。
——ちなみに、スタジオの名前はなんて言うんですか?
永積 「ちゃかちー」。タイ語で「くすぐる」っていう意味なんだけど、2年前にタイに旅行に行ったときに、自分の名前を「タカシ」って言ったら、「チャカチー」って聞こえたみたいで。「それ、タイ語でくすぐるって意味だよ」って言われて。僕、小さいときに近所のおばさんから「チャカチ」って呼ばれてたのね。ああ、なんか面白いなと思って。世の中をどうこうするっていうよりは、ちょっとくすぐったいくらいが自分ぽいかなと思って、平仮名で「ちゃかちー」にしました。
——では、スタジオが完成してから、アルバムの製作がはじまったんですね。
永積 最初にセッションを始めたんだよね。原田郁子(ピアノ)と、SOIL&"PIMP"SESSIONSのみどりん(ドラム)、EGO-WRAPPIN'のサポートしてる真船勝博くん(ベース)、元ボノボのコジロウ(ギター)に来てもらって、ここでセッションしながら曲を作ったりしてて。
——そのメンバーで新しいアルバムを作ろうっていう意図がありました?
永積 いや、レコーディングに入る前に、なにかきっかけが欲しかったっていう感じですね。この場所がどういう風に使えるかも知りたかったし、スタジオに慣れる時間も必要だったから。人と音を出して、知っていくっていう意味での入口だったと思う。結局、去年の1月くらいから物件を探し始めて、5月に借りて。そのあとでマタニティーブルーが来て、1ケ月くらい物件を見にいくのをやめて(笑)。7月から施行を初めて、9月に出来て。ツアーを挟んで、12月からセッションをはじめて、年明けの1月から本格的な作業をはじめたような気がするね。
——本作は全曲、プライベートスタジオでのレコーディングですか?
永積 いや、BBBBが参加してくれた「オアシス」は外のスタジオで録ってる。
——"ちゃかちー"で最初にレコーディングしたのは?
永積 児玉奈央に提供した「Spark」のセルフカバーかな。これは、僕と真船くん、みどりんと郁子でやってて。アナログのテープで録ったから、音がすごく良くて。なんというか、ネチっこくて、ドーンとしてていいんですよね。そのあとで、「Crazy Love」と「かたち」のトラックだけをレコーディングする日があって。それこそ、地震がきた日に、「かたち」をやってたんだよね。
——それは、すごい曲を録ってましたね……。
永積 バックトラックを録り終わって、みんなでしゃべってるときに揺れがきて。揺れが収まったあとにスタジオに戻って、いま、思いつくアイデアだけ入れていこうってなって。みんなで「♪か、た、ち、か、た、ち」とか言ってて。
——これ、どんな歌っていったらいいですかね。歌詞にはママのちちくびと、パパのかちんこが出てきますが……。
永積 それが全部カタチなんだよっていう愛の歌です(笑)。これはね、セッションをしてるときにリフからはじまって。カッコいいねって言いながらインストでやってたのね。で、あの日の朝に、なんとなくこういう歌詞がのりそうだなと思って、書いた。あの日になにをやってたかってことは、すごく意味がある気がするけど、俺は、「かーたーちーん」って叫んでたんだよね。でも、この曲は結構、歌い直してて。最初にのせた歌詞よりは、響きのいいものを選んでいったと思う。
——響きのいいものを選んで、歌い直したっていうのは?
永積 あの(震災)あと、1ケ月くらいレコーディングがとんだんだけど、いままで自分がやってきたことにちょっと自信が持てなくなっちゃったりしたんだよね。「hi tide lo tide」も『あいのわ』のときにレコーディングしてたんだけど、当時の歌詞だともう違うなと思って。やっぱり、震災以降の気持ちで書き直そうと思ったし、「Crazy Love」ももっと内省的な歌詞だったんだけど、そういうことを口にするのが辛くなっちゃって。もっと、抜けた言葉にしないといけないと思ったんですよね。
——それは、ポジティヴな言葉しか歌いなくないってことですか?
永積 ううん。楽しいことだけ書けばいいかと言えば、楽しい言葉を言い続けることもすっごい体力がいるなと思ったの。自分の心のなかが痛んでるときに、内向きなことも言えないし、かといって、なんとかなるぜ! 楽しんでいこうぜ! っていうことも言えないっていう。そういう痛ましい時期がしばらくあった。歌入れまでばっちり終わってる曲を何度も歌い直したのは今回が初めてだったんだけど、その点に関しては、自分のスタジオがあって良かったなって思って。もしも、前の音源を録り直せないってことになってたら、もっと苦しかっただろうし、ちょっと出すの嫌だわって言い張ってたかもしれない。いろいろ考えたけど、あれ以前と以後の記録があるっていうことは、のちのち自分でアルバムを聞いたときに、またなにか意味が生まれそうだなっていう気がするの。震災をまたいでアルバムを作っていたっていうことが、先々の自分に、いい意味で返ってくるような気がしてますね。
——アルバムが完成してみて、現時点ではどんな作品になったと思いますか?
永積 高2っぽいかな?
——前作のインタビューでも、「高2の放課後っぽい。1stみたいな感じ」と言ってました。
永積 あはははは。僕は、変わらず、そんなことばっかり言ってるんだな〜(笑)。きっと、まだ放課後は続いてるんだろうね。でも、高2が終わりそうな感じがするけどね。
——どういうことですか?
永積 前作も今作も模索しながら作ってるっていう気がしてて。1回、高1のときにやりきったことを、高2でもやるんだけど、なんか高1のときの気持ちとは違うし、違う何かがあるはずだって模索してる感じもあるっていう。
——最初の3枚のアルバムと、『あいのわ』『オアシス』の2枚の間には、なにか分からないけど、はっきりとした違いがあるってこと?
永積 そうだね。1stから3rdまでは、まだ1枚1枚で完結できてた部分がある。でも、いまは1枚でっていう単位ではあんまり考えてないかもしれない。『あいのわ』と『オアシス』は、あと何枚か作ってみて、全体ですごく大きな何かを表そうとしてるのかなって気がする。『オアシス』は、今のタイミングのはっきりとした断片なんだけど、他の部位が残ってる感じがするし、まだ途中である気がするというか……。ただ、いままででいちばん濃い時間を過ごせたのは確かだし、より自分っぽいアルバムになったな〜っていう実感はあって。なんというか、でこぼこしてると思うんだよね。それが、やっぱり自分なんだと思う。
——でごぼこしてて、ぐにゃ〜ってしてるのが、今のハナレグミらしさと言っていい? それは、冒頭の「ガチャガチャしたバンド感を求めてた」という言葉とも繋がりますよね。
永積 うん。やっぱり、でこぼこしてるっていうか、きれいにまとまんない感じが欲しかったんだろうね。例えば、「Crazy Love」は、歌詞を書きながら、BUTTERのときみたいだなって感じたし、「オアシス」もみんなにいつもと違う、ざらっとした手触りがあるって言われたのね。音の輪郭がでごぼこしてる。それは、やっぱり、思ってた通りだなって感じたことで。スタジオを作ることが、もうひとりバンドメンバーが入ることと一緒なんじゃないかって思ってたように、このアルバムのなかには、きれいにまとまらない面白さが入ってるんじゃないかって思う。どこかガサガサしてる感じというかね。とくに「かたち」とか「ごっつあんです」はBUTTERのときの何かをすごく感じるから(笑)。
——くだらなくて笑っちゃうファンキーナンバーと、涙が出るくらい感動する弾き語り曲の触れ幅がすごいですよね。その中間がないっていう。
永積 そう、真ん中! 自分のなかの真ん中を感じてみたいんだけど、真ん中がないんだよね〜。だから、今回、箸休め的なインストを2曲入れたんです。
——(笑)アルバムのタイトルはどうして「オアシス」にしたんですか?
永積 もともとはドラムのPすけのアルバムに入れた曲で。葉山にあるオアシスっていう海の家でのライブに向けて書いた曲でもあったんだけど、みんなが「この曲がすごくいい」って言って。僕もすごくいいなと思ったから、あんまり考えずに、じゃあアルバムのタイトルにしようって。"オアシス"っていう言葉もいろんな意味を持ってるような気がしたから。
——どんな意味を持ってると思います?
永積 僕のなかの「オアシス」って、砂漠の真ん中で、陽炎のように見えてるくらいがオアシスっぽいんだよね。よくよく考えると、砂漠の水辺のことをオアシスっていうんだけど、はっきりとそこに水がある状態は、もう水辺でいいじゃんって思うの(笑)。だから、僕にとっては、行けども行けども辿り着けない場所っていう感覚。
——蜃気楼的な印象?
永積 そう。すごく遠くから、「あ、オアシスが見える〜」くらいがいちばんオアシスっぽい。近くにも見えるし、遠くのことのようにも見えるし、夢のような感じというか、希望や願いみたいな気分かな。それが、叶えられるかどうかっていうよりは、なんかそこにありそうだなっていうくらいが、僕がイメージするオアシスかもしれない。
——はっきりとしたカタチがないものが揺らいでるっていうイメージかな? 前作では、目には見えない、カタチのない愛をあいまいなまま受け入れる覚悟を歌ってましたよね。
永積 カタチがないっていうことがカタチなんだっていう意味もあるっていうか。例えば、愛にしても、いろんなカタチがあるっていうことは、ある意味、1つのカタチはないってことと一緒なわけじゃん。……うまく言えないけど、音楽も、音が鳴った瞬間に消えていくでしょ。でも、消えていくからこそ、強く確かなものとして残っていくし、体のなかには、鳴り続けてる余韻もあったりする。あとあと、実際に音が鳴ってたとき以上に、そのものをはっきり見せていく瞬間もある気がする。それは、もう確かめられないもので、とてもいい加減なものだからこそ、いいものだと思うんだよね。僕は、もしかしたら、そういうものの中に、なにか分からない"愛のようなもの"があるんじゃないかなって強く思ってる。確かめられないからこそ、手に出来るものがある。そこにあると思えばあるし、ないと思えばないかもしれない。でも、そこにあるって気づいた瞬間に、そのものはどんどん確信になって、自分を動かしていく力に変えてくれるっていう。
——あると思えばあるし、ないと思えばない。そんなカタチのないものがいいんだっていう確信を持って歌うことは、とても勇気がいりますよね。
永積 そうだね。それは、中村ハルコさんという他界してしまった写真家のダンナさんと話したことが大きいかもしれない。そこで、「揺れ続けたいってことは一見、優柔不断とか弱さに見えるけれども、揺れ続けることを自分に課すのは強さでもある」って言われて、すごく感動したんだよね。自分はいつも揺れまくってるから、こういうライブでいいのか、こういう音楽でいいのかって迷ってるけど、それは決して弱さじゃないって言われて。決められないことも大事な意志の1つで、そういう作品の方がより多くの人を巻き込む力を持ってるって。自分の音楽はこれだ!って言い切っちゃうと、そこからはみ出た人は入れなくなるけど、揺れ動くことによって、より多くの人の心のひだにあたる可能性を持ってるって言われて、すごく救われたんだよね。まぁ、自分としては、もっとスパンと思い切った音楽をやってみたいとも思うこともあるけど(笑)、答えが出ないなかに居続けるしかないし、気持ちが揺れるままに歌えたらいいなって思いますね。
——「天国さん」を作ったのはいつ頃ですか?
永積 日にちははっきり覚えてますね。2010年の2月22日。その日はおじいちゃんの命日なんだけど、命日の2日前くらいに、じいちゃんからもらったジュリー・ロンドンのレコードを聴いてたのね。で、国立の家の近所にあるジャズのお店のサイトを見てたら、「今日は、みなさんがお家から持ってきたレコードを聴く会です」って書いてあって。そのレコードを持ってお店に行ったんだけど、ジャズに詳しそうなおじさんばかりだったから、「じいさんが好きだったジュリー・ロンドンをかけたいです」って言えなくて。で、カフェをやってる友だちに電話して、「みんなでレコードを聴きながら遊びたいんだけど」って言ったら、命日の日にやれることになって。そしたら、前の日に急にこの曲が降りてきた。だから、その日は結局、ライブにして、みんなに聴いてもらったんだよね。
——歌詞はどんな内容だと言えばいいですか?
永積 4年前にじいちゃんが死んだときの自分の両親の感じがすごく残ってて。まぁ、歌詞の通りなんだけど、僕はそのシーンが好きで、悲しいことや辛いことがあると、その葬式を思い出してたんだよね。そうすると体が楽になってたの。それは、おふくろが、最後にじいちゃんの棺桶に向かって、ちっちゃい声で「お父ちゃまありがとう」って言ってた言葉だったり、おやじが、見たこともないような壊れ方をしてる姿なんだけど、どうしてこんなに残ってるのかなって思ってて。その真ん中にあるのは、死だから、すごく悲しいことなんだけど、お葬式に参加したみんなが、お互いになにかを感じながら囲むことによって、救われてるんじゃないかって思って。自分自身は、父親と母親の姿を反芻することで、なんか助かってるなって思ったのね。だから、いつかそのことを書けたらいいなって思ってたんだけど、生き死にを歌詞にするのはすごく難しいなって思ってて。そしたら、友だちみんなで、レコードを聴いて遊べるぞっていうので、テンションがあがって、前日に嬉しくなって書いちゃったんですよね(笑)。
——タイトルにはどんな意味が込められてるといえばいいですか?
永積 最初は「お葬式」っていうタイトルだったんですよ。でも、「お葬式じゃな〜」とずっと思ってて。うちのばあちゃんが去年亡くなったんだけど、ばあちゃんとじいちゃんはキリスト教だから、お葬式に神父さんがくるじゃない。そしたら、その神父さんのことを、うちの姪が「天国さん、天国さん」ってずっと言ってたの。
——(笑)かわいい。
永積 だからね、この曲は何世代にも渡った話なんですよ(笑)。歌詞に出てくるのは、死んだじいさんと、息子と、息子の結婚した嫁。その歌詞を書いたのは、じいさんの孫で、タイトルを考えたのは、ひ孫だっていう。4世代に渡る思いが刻み込まれてるのがなんともおもしろくて。
——映画の主題歌に決まったときの心境は?
永積 監督の砂田さんに、どういうことを伝えようとしてるんですか? って聞いたときに、「自分のお父さんが亡くなったあと、亡くなっても生き続けてるものがある」って言ってたのね。「それは何かって言われたら、言葉にはできないんだけど、亡くなってもなお、なり続いてる何かが伝わればいいなと思ってる」って言われて。その時はもう「天国さん」が出来てたから、もし、気に入ってもらえるんだったら、この曲はどうですか?って聞いてもらって。それで、使ってもらうことになった。僕も、意味も分からず、「あるよ。あるよ」っていう歌詞を書いてて。なんで「あるよ」なのかは分からないけど、「あるよ」っていう言葉がすごくいい気がするなって思ってたのね。鳴り続けている余韻みたいなものだよね。だから、やっぱり同じことなんだなと思って。どういうことを書こうっていうわけじゃなく、書くことがバーンって出てきたっていう意味では、「サヨナラCOLOR」や「光と影」に近いものがあるなとも思いますね。
●インタビュー・永堀アツオ 2011年7月11日(土) 「ちゃかちー」にて。